出会いは運命?

出会いは運命?

確かに「出会い」というのは不思議なものです。
”こんな人に出会いたい”と切に願っていても、自分が思っている様な人とはなかなか出会えるものではありません。
私たちそれぞれの人生経験から十分に理解出来ることです。

ある意味、素晴らしいと感服できるような人と出会えるのは、
その人の持っている運としか言いようがない世界かも知れません。

それこそ、毎年やっている大河ドラマなども、
見知らぬ人間同士が出会ってから、次第に強く結ばれていく「絆」がテーマになっていますよね。

いつの時代にも出てくる名将と名参謀、名社長と名専務など、
時代背景は変わっても、万人に共感するテーマだからではないでしょうか。

しかし、お互いが求めたからといって出会えるものでしょうか?
 
 

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「赤い糸」と言われるものは通常、男女の間に運命付けられた関係を指すのでしょうが、
それには関係なく男性と男性、男性と女性、女性と女性のどの組み合わせにもあるものなのではと感じさせられます。

その出会いの不思議なるが故に、「運命的な出会い」という言葉がよく使われます。
いやむしろ、意地悪な言い方をすれば、
特に恋人達は「運命的な出会いでありたい」と願っているのではないでしょうか?(笑)

ここで考えてみたいのは、果たして出会いというものは<運命>なのでしょうか?

よく、人生は川の流れに例えられます。
そこに流れる一片の花びらがあったとします。
その花びらは上流から色々な旅をして下流に流れて来ます。
その間、岩にぶつかったり流木に挟まったり浅瀬の砂に乗り上げたりと、
紆余曲折の出会いの旅を経験していきます。

まして生身の人間は、生まれ落ちてから数え切れないくらいのドラマチックな出会いを繰り返し、
ある時はボロボロに傷つき、ある時は幸福感一杯の出会いを経験し続けて老いていきます。

確かに、人生にはどの様な出会いや場面が用意されているのかは推測出来ませんが、よく考えると一生のうち「出会い」なんかは一杯あります。

毎日毎日、実に多くの出会いを繰り返しているのではないでしょうか?
毎日の通勤電車もそうでしょうし、休みの日に繁華街に行けばどれだけ多くの人と出会うでしょうか。

このように申し上げると、
「それはただ単にスレ違っているだけで、<出会い>とは言わないよ・・・。」
という声が聞こえてきそうです。

そうなんです!
そこには自分が<出会う>という意志が働いていないから、そう思われたのだと思います。
そこなのです!!

私は、「であい」というものを分かりやすく考えるために、「出会い」と「出合い」に分けて捉えています。

<出会い>は一杯あるのですが、
<出合う>というのは沢山の出会った中から、
「自分の意志で、これからもその人との人間関係を続ける覚悟を決める」と
いうことなのだと思います。

「出会う」ことと「出合う」こととは天と地ほど違うのです。
もちろん、全く出会わない世界の人とは<出合う>ことは出来ないのでしょうが・・・。

ですからくどいようですが、
<出会うこと>はある意味「偶然の運命」なのでしょうが、
その中からの<出合い>は「自分の意志で決めている」ことに気付くべきでしょう。

そうすることによって、
その人と関わることの素晴らしさを誇らしげに思ったり、
またその時に出合うことを決断した愚かさを反省して、
その後の自分の人間成長の役に立つのではないかと思うのです。

偶然の運命的な<出会い>を、自分の意志でもって宿命的な<出合い>にするのかしないのか、
それこそ、<あなた自身が、自分の人生をどう生きたいのか>で決まるのではないでしょうか。

<出合い>まで運命としてしまっては、それを決めた自分が可哀想なのではないでしょうか。
 
 
 
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