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人間みんな死刑囚
私がまだ高校生のころに、ある有名なクリスチャンの女子校運営に多大なご尽力をされた高名な先生と、お知り合いになる機会がありました。
その高名な先生から、「<人間はみんな死刑囚>ですよ。」というお話を伺ったことがありました。
「えぇ~?自分はなんにも死刑にされるような悪いことはしていませんよっ~?!」
口をとがらせて、反発したことを覚えています(笑)。
その先生が仰るのは、
「<死刑囚>の人は、裁判で死刑判決が出たからといって、
すぐに処刑されるのではないのです。
いつ<処刑>されるのかは、本人には事前に教えられていないのですよ。
毎朝6時になると、看守が、死刑囚を収監している独房に見回りに来ます。
そこで、カーン、カーン、カーンと看守の鳴り響く靴音が
自分の部屋の前でピタッと止まった時が、自分が処刑される日なんですよ。」
と教えて下さいました。
その話をお聞きして、ゾゾォーっとしたことを覚えています。
その先生のお話は、まだ続きます。
「だからね、看守の足音が自分の独房の前を通り過ぎたときには、
死刑囚の誰もが<ホッ!>と胸をなで下ろして、
『あぁ、今日も一日生きることができた!』 と、
今日の一日を、一生懸命に精一杯、生きるそうです。」
死刑執行の日まで、毎日が、その繰り返しだそうです。
そして、「人間は、死刑囚でなくても、必ずいつかは死ぬ日がやってきます!」
「でも、死刑囚と同じで、何時その死ぬ日がやって来るのかは、分からない!」
「そういった意味で、朝、目覚めたときにあなたは、『あぁ、今日も一日生きられる!』 と、
神様に感謝して、今日という日を一生懸命に頑張って生きていますか?」
「人間はみんな死刑囚と同じなんですよ!」
「自分では、まだまだもっと長く生き続けると、勝手に思い込んでいませんか?」と、仰いました。
「明日という日がないかも知れないからこそ、今日一日を精一杯に生きる覚悟をもって生きなさい。」
このお話を若い時代にお聞きして、その時は「ふぅ~ん。」という感じでしたが、
近頃は、実感として身につまされるお話になってきました。
私も阪神淡路大震災を体験し、アメリカの9.11テロや東日本大震災など、
無情の風が吹いて、ロウソクの灯がフッ!と消えたたとき、何年生きたかはまったく関係なく、命があっという間になくなる事件・事故・災害を見聞きして、
今日が、今が、この瞬間が、生かされている「大切な時」なのだと実感しています。
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