やさしさと思いやりの違い
実は私が自分で自覚している性格の最大の欠点が、人に対して「思いやり」がないことです。
このような「思いやり」のない私が書いている文章を読んで下さっていて、誠に申し訳ありません。
何故そうなのかを理解して頂くために、私の育ってきた背景を少しお話ししなければなりませんので、しばらくお付き合い下さい。
私の母は、今は老いて老人ホームでお世話になっていますが、性格的には攻撃的で非常にキビシイ人でした。
ですから、皆さんは想像もできないかも知れませんが、私は物心付いたときから母親に甘えることは許されず、愛されたという思い出はたったの一度もありませんでした。
ずっと母親を恨んで生きて来ました。
皆さんは、「愛を乞うひと」という本をお読みになったことはありますか?映画化もされました。
まるで私の子ども時代を見ているようでした。
親父はというと、9人兄弟の末っ子で人間的にはやさしいのですが、甘えん坊のアカンたれで、仕事も続かず年中貧乏で甲斐性もなかったので、母親は常にイライラしていたのでしょうね。
そのはけ口が私に向かった。
殴る・蹴るは日常茶飯事で、おまけに貧乏なのに教育ママと来ていますから気が休まる場もなかった。
私のはけ口は、自傷行為や親のいないところで暴れ回ることでした。
後でまた、こっぴどく叱られるのは分かっているのですが・・・。
一度も母親にやさしい言葉をかけてもらったり、やさしく抱きしめてもらった記憶はありません。
いつ飛び込もうかなって線路の側を歩いたことも度々でしたし、
家に帰るのがイヤでイヤで、公園で一人ポツンとしていることが、唯一ホッと出来る時間でした。
でも母親が仕事から帰ってきて、長男の私が弟の世話や家の用事が出来ていないと分かると、またまた殴られるというような毎日でした。
そのような中で育ってきたのです。今の時代のように、相談する場所もありませんでした。
今思っても、本当に辛い幼少期でありました。
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さてここからが本題なのですが、
大きくなってから周りからよく苦言を呈された言葉があります。
それは、
「あんたは、人への優しさとか思いやりというものがないの?! ホンマに冷たい人間や!!」
です。親からも言われました。
実際、私自身が、「やさしさって何?思いやりって何??」と、
本当に「知らない感情」であり、「解らない感情」だったのです。
これは、「あんたは常識がない!」とも言われ続けた、私の欠落した二大欠陥性格でもありました。
「常識知らず!!」こう言われることに対しても本当に悩みましたが、この話は別メニューにも書かせて頂いています。
この「思いやり」や「優しさ」という感情に、薄ボンヤリと気付き始めたのが、
中学一年生の時の初恋でした。
初めて、自分以外の人を大切に思う感情が芽生えましたが、
でも、どうやさしく接すれば良いのかは分かりませんでした。もちろん相手にもされませんでした。
それから随分年月が経って、自分が小さな事業を始めるようになってからのことですが、スタッフを採用することになりました。
しかし、すぐ辞めるのです。採用する、すぐ辞める、採用する、すぐ辞めるが続きました。
「一体、何が不満で辞めるの?給料だって悪くないハズだし!」って、不思議に思っていました。
「店を大きくするためには、一人では出来ない。だから人を採用しているのだろうが、働いてくれる人を自分の金儲けの道具と思っているんじゃないの?」ということをどなたかに諭された様に思いますが、その意味を理解できるまでには、とても長い年月とお金を費やしました・・・・(笑)。
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思いやりのある子どもに育てる
そういうことがあったものですから、人が続かないその原因を真剣に探しました。
そこでようやく、ビジネスライクだけではダメで「やさしさ」や「思いやり」というものが必要なのだということが解ってきました。
その様なことは、一般的には当たり前のことなのでしょうがそれすら知らなかった私でした。
この欠落した性格は、幼少期の母親との関係に原因があることは判ったのですが、だからといって今更自分の性格をどの様にして変えればよいのか、いや、変えられるのか、色々と悩み考えました。
「どうしたら普通のみんなのように、思いやりのあるやさしい考えや行動を身につけることが出来るのだろうか?」
真剣に悩みました。本当に考えに考えました。
そして考えついたのは、「自分には、みんなのように自然発生的には出来ないが、
せめて、人に<やさしく振る舞う努力>をしよう!」と思ったのです。
<やさしく、やさしく><やさしく、やさしく>です(笑)。
それをいつも心掛けるようにしてきた今では、お蔭様で次第に習慣になってきました。
逆に、近頃では、「やさしい社長さんですね。」なんて言われるとイヤミを言われている様で、
苦笑いをしてしまうこともちょくちょくあります(笑)。
ただ、今でも、どうしても自分では解決出来ないことがあります。
それは<思いやり>です。
自然に心から滲み出てくる、人への慈しみです。
これは現在も克服できていません。そりゃそうですよね、元々私の心の中に無いものだからです。
ですから私は、「やさしさ」と「思いやり」を区別して考えています。
「やさしさ」は努力次第でやさしく出来ます。
「やさしくしよう!」と思いさえしたら、言葉や態度で表現できます。
でも、努力しないでも自然に心の底から沸いてくるような、本当の「人へのいたわりや思いやり」の心は、私には真似出来ないのです。
真似が出来るのは、「やさしさ」だけです。
家内にも今でもよく言われます。
「あなたは、自分が意識をしている時は何処の誰よりもやさしいけれど、
無意識の時にはとっても冷たいわ!」って。
よく見ていますよね(笑)。
そうなんです。悔しいけれどその通りなのです。
ですから、常にやさしく振る舞えるように、確かに努力しています。
でも悲しいかな、気を抜いてボーとしている時はすこぶる冷たい!!(笑)
そのような私の体験から、私の知っている人を見ていると、貧富には関係なく、間違いなく母親に大切にされて育ってきた人には「思いやり」があり、冷たい母親に育てられたという人は、やっぱり冷たいように思います。(私の個人の体験談ですので悪しからず。)
「愛された経験のない人は、人を十分に愛せないし、愛し方が分からない。」という言葉を聞いたことがありますが、
幼少期の体験は、本当に人の一生の性格を左右するスゴイことだと思います。
もし、今これを読んで下さっているあなたが子育ての最中だったとしたら、
子どもがむずがって気が滅入るようなことがあっても、
ちっとも自分の言うことを聞いてくれなくて、子どもを投げ飛ばしたくなっても、
泣いている子どもと同じように、泣きわめきたいほどにイラ立っても、
私のような子どもに育たないように、十分にギュッとスキンシップをしてあげて、
折に触れて「やさしい言葉」をかけてあげて下さい。
もし、その子どもが本当の自分の子どもであったとしても、なかったとしてもです。
たとえ血が繋がっていない関係であったとしても、愛情たっぷりに育てられたことで、
ステキな人柄や尊敬される人格に成長された人を何人も見てきました。
片や、私と同じように親に、特に母親に愛情をもって育てられなかった人達も知っています。
母親が原因で、人生そのものを潰されていった人も見てきました。
子どもは親を選んで生まれて来れない。
もちろん、大人になればそれまでの社会経験から、
自分の態度次第で回りの人の態度も変わることを学んでいきますので、
幼少期のままの性格ではなくなります。
そして、猫を被ることも、見栄を張ることも覚え、違った性格に見せることも出来るようになります。
でもね、根っ子のところの悲しさは、本人が一番よく知っています。
ここでお伝えしたいのは、幼い子ども達が心ない親に虐待されて、時には命さえも亡くしてしまっている記事を時々目にしますが、そのような事のないように、優しい母親・賢い母親になっていただきたいと、切に願います。
私のように表面的なやさしさだけでなく、
心底からまわりの人を慈しむ心を持った思いやりのある子どもに育てて欲しいと願うからです。
子どもは国の宝、人類の宝ですから。
壮年期になってようやく、「やっと母親を超えられた!!」と実感したことがありました。
その時からはもう、母親を恨む気がすぅっと消えてしまいましたので、念のために申し添えます(笑)。
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