自信とうぬぼれの違い
この一つ前のページには、部下を育てる時の「誉めること」と「おだてること」の大きな違いを申し述べました。
よく似た内容になるかも知れませんが、今度は中間管理職自身の問題として、「自信と自惚れ」について書いてみようと思います。
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以前に、宝塚歌劇団の元トップスターのディナーショーを観る機会がありました。
わずか2時間足らずのステージでしたが、実に素晴らしく見事なもので、目の動き、歌の間の軽妙なおしゃべり、背中からもオーラを感じさせる存在感、歌いながら踊りながらも、ゆとりをもって会場全体のお客様を観察してのアドリブ・・・。
「スゴイ!」の一言です。
ショーを観ながら、私の心を揺さぶるその感動はどこから来るのだろうと考えました。
私は確信しました。この素晴らしいステージの源は、やはり彼女の「自信」なのだろうと。
元トップスターとしての「自負と誇り」という自信があるからこそ華麗で美しく見える、観せることが出来る。
そしてとっさの時にもアドリブとして機転や応用が利くのだろうと感じ入り、舞台が終わるまでショーを楽しませてもらいながら、多くの気付きを与えられました。あっという間の2時間でした。
「自信」とはなんでしょうか?
自分が大切にしてきた「生き方が本物かどうか」ということ。
自分の優秀性が社会に通用するかどうかを常にチェックして、そういう自分に対して絶大なる「自負」を持つこと。
そして結果としての「評価」は他人様におまかせすること。
私たちも、こういった「ホンモノ」の自信をもって、自分のステージを生きて行きたいものです。
ましてや、実績を上げながら、預かっている部下を一人前のビジネスマンとして成長させるための教育者である中間管理職なのですから、
この元トップスターの様に、回りの人を感動させるほどの、揺るぎないホンモノの自信を持ち続けたいものです。
もっともその様な実力のある方だからこそ、あなたの上司は中間管理職としてあなたに託されたのだと思います。
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自信とは紙一重の「自惚れ」について
いくら自信を持つといっても、自信過剰は鼻持ちなりません。部下が一番嫌うところです。
その辺の「自惚れ」について書いてみたいと思います。
宝塚元トップスターのショーを観て、彼女から「自己の確立に基づくほんものの自信」を学ばせてもらったことを書かせて頂きました。
そこから、その「自信」とはあくまで自分の内にあるエネルギーのことであり、評価や結果は気にせずに、精一杯自分を演じるだけ。
その評価は観客がすることであって、万一ダメだったらまた次に反省すべき点を改めて頑張ればよいと言うことなのでしょうが、私たちは、ついつい自分で自分の評価をしてしまいがちです。しかも、甘い目に・・・。
もちろん誰しも、大なり小なり自分自身で自分の評価をするものですが、それが尊大になった時は「自惚れ」になります。
また自分の評価が、マイナスに働いた時には必要以上の「失意」に落ち込み、一喜一憂を繰り返してしまいます。
酷いときには、ウツの症状をきたすこともあります。
「自信」と「自惚れ」はともに内なるエネルギーには違いはないのですが、評価そのものを、他人様に委ねるか自分でしてしまうかのこの違いが、二つの大きな分岐点のような気がします。
それにしても私たちは、「本物の自信」を目指せばよいものを、何故こんなに他人様の「評価」が気になるのでしょうか。
「独りよがりの自惚れ」は必ず淘汰され自滅することが判っているにも拘わらず、
また、自分でも愚かしい小人にはなりたくないと思っているにも拘わらず、
なかなか大人(たいじん)には成長できない幼さと、
己に克てない歯がゆさが邪魔をしているのでしょうか。
そのような自分を恥ずかしく思い、「謙虚に本物を目指す」ことの難しさを感じてはいても、
それでもそれを乗り越えて、成長し続ける人生を歩んで行く自分でありたいと願っています。
部下の成長を見つめながら、自分の自省としても考えておきたいテーマだと思うのですが如何でしょうか。
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