生かされて今ある不思議
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◯ 回り道の人生
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当初、このカテゴリーのタイトルを「生きて今ある不思議」と、しました。
でも、この「生命」のことを教えて下さった先生の言葉を思い出して、「生かされて今ある不思議」に変更致しました。
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若い時代に何の話題のことからか忘れましたが、みんなで命のことについてワイワイと話し合っていたことがありました。
そこに先生が来られて、しばらくジッと聞いておられましたが、
「そうか、君たちは自分で生きていると思っているのか・・・。」
「そりゃそうでしょ! 毎日ごはんを食べて、運動して身体を鍛えて、睡眠をとって、って・・・。」
「そうだな、、、そうやって身体を維持しているんだな。それはその通りだ!
でも、命の根っ子のところが解っていないと、全然違ったとらえ方になってしまうのだよ。」
「命の根っ子・・・?」
私も含めてみんなポカーンとして、その先生が言われていることが解りませんでした。
「では、私から質問するよ!」
「この中で、『自分はこの世に生まれてきたい!』と願って、自分の意志で生まれて来た人は手を上げて・・・。」
当然、誰からも手は上がりません。
「それでは、もう一つ質問するよ!」
「この中で、自分が死ぬ日を知っている人、はい、手を上げて・・・。」
今度も、もちろん誰からも手は上がりません。
「えぇ~??君たちは先ほど、『自分で生きている』と言ったじゃない! つまりは自分の持ち物のように受け止めているということだよね。」
「自分の持ち物とは思っていないけれど、自分の意識で、お腹が減ったらご飯を食べるし、喉が渇いたらお水も飲むし、眠たくなったら寝ますよ! 自分のものだとは思っているかな~。」
「それは先ほども言ったように、そうやって今ある身体を維持しているだけなんだ。」
「そして、自分の人生をどの様に生きて行くのかは、みんなに委ねられてはいるけれどね。」
「もし、命が本当に自分のものだったとしたら、一番重要な、生まれてくる時や命が亡くなる時も、自分の意識の中で自分が知らないというのはオカシイのではないの?」
「・・・・・・・。」
今まではずっと、この命はお父さんやお母さんから貰ったものという認識はありましたが、そのような事を考えたことはありませんでした。
確かに、いつ自分の命が亡くなるのかは誰も分かりません。
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いただきます
そして先生の言葉は続きます。
「みんなはもう大人だから知っていると思うけど、結婚したって子どもが出来るとは限らないし、不妊で悩んでおられるご夫婦も何人もおられるよね。精子と卵子の結合というような生物学的な理屈だけでは、解決出来ない問題なのだよ。」
「この世の中に生まれてくる命もあれば、生まれてこれない命もある。」
「だから、子どもを神様や仏様からの<授かりもの>と言うのだよ。人によっては大いなるものからという言い方をされる人もおられるけれど。」
「つまりは、皆さんの命は神様や仏様や大いなるものからお預かりしているということなのですよ。決して自分のものではないのです。」
そのような話を初めて聞いた私たちは、
「ホントやなぁ~!そう言われてみれば、そうだよなぁ~。」「そんなこと考えたこともなかった!!」と異口同音に言葉が出て来ました。
更に先生の言葉は続きます。
「だからこそ、自分の命も他人の命も大切にしないといけないのですよ。何せ、命は誰もがお預かりしているものなのですから・・・。」
「<命>のことを考えるとき、この世の中にある全ての命がそうなのです。動物も、植物もすべてです。」
「私たちが食事をするときには、『いただきます!』と言いますよね。それは、動物や植物の命を私たちがいただいて、命をつないでいるのですが、そのことへの感謝の気持ちを表現しているのです。」
「そんなことを考えて、ご飯を食べたことはありませんでした!」「それらの命のお蔭なのですね。」
「そうですよ。食事のたびに、このお話しを思い出して下さいね!」
この「いただきます」という言葉に象徴されるように、私たちは何らかの命をいただいて命をつなぎ、今日も生かされています。
将来科学が発達して、クローン人間などのように人間の手で人造的に命が合成される将来が来るかも知れません。
このことは、医学の進歩と無縁ではないと思いますが、人間の心も同じように進歩して、そのような時代にマッチして生きていければ良いのですが・・・。
以前、エジプト考古学者の吉村作治先生が、数千年前の古代エジプト文字をようやく解読出来たときに、その内容が「きょう日の若い奴等は!」と書いてあったという笑い話を聞いたことがあります。(笑)
人間の心というのは、時代は移ろってもやはりあまり進歩しないものなのでしょうね。
どちらにしましても、自分で「生きている」のではなくて、今を「生かされている」ことには違いないと私は思いますし、「生かされて今ある不思議」を感じますが、皆さまは如何お考えになるでしょうか?
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