自分の意志ではない「出会い」もある
いろいろと出会いについてのお話しをして来ました。
単純に出会うことに意味があるのではなくて、
自分の責任において、意志をもってその人と関わっていくことの自覚が
自分を成長させてくれる唯一の手段であるとのお話しもして来ました。
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ここで少し角度を変えて、私の回りの人達の中で、
「自分が願ってもいない出会い」に遭遇した人や、
「自分の意志で決められなかった出合い」を体験して来た人も、
多くおられるということを書いてみたいと思います。
また、ひょっとしたら私たち自身も、少なからずそういう経験をしているかも知れませんが・・・。
まずは、みんな人の子として産まれて来た訳ですが、よく言われることとして、
「子供は親を選べない」という言葉があります。
(この言葉で思い出すのが、下田治美さん著の「愛を乞うひと」という作品や、
サイトで見つけた「器の法則」という作品です。機会があれば、是非ご覧下さい。)
同じ様な意味で、民族も国家も時代も、好きで選んで生まれて来た訳ではありません。
もちろん、その時代・その民族・その国家に、そしてその両親から生まれたことの意義のようなものは、後にその人や回りの人や後世の人達が意味づけすることはあるでしょうが・・・。
自分の意志ではない「出会い」や「出合い」をされた人達の中には、
まだ自分の生き方を決められない乳幼児期に、貧乏のため養子に出された人も知っています。
また、肌の色が違うというだけで虐げられてきた人もおられました。
人間の心のなかに巣くう数多くの差別意識の中の出会いで、苦しんでこられた沢山の人達。
そして、思いもかけない犯罪者との出会いに巻き込まれた人も知っています。
不治の病に倒れ、愛する人と共に生きていく夢を諦めざるを得なかった人々。
戦争の時代に生まれ、自分の意図とする生き方が出来ずに、悲しみの中で亡くなっていかれた数多くの方々がおられます。
自分が意図しないその状況や環境に押しつぶされて、人間関係が崩壊した人生を送った人も見て来ました。
その環境を恨んで、自分から進んで世の中からスピンオフしていった人もいました。
ご自分の意志で決められなかった「出合い」を体験されてこられた人達のお話を聞くと、本当に胸が締め付けられるような思いがします。
このような、自分が望まない生き方を選ばざるを得ない状態を、本当の<苦労>というの言うのでしょうね。
しかし、自分の意図しない環境に生きていても、その場で頑張っておられる人の
お話しをお伺いしていると、大変な人生を歩んで来られたそのご苦労にもかかわらず、
「なのに何故この人は、こんなに大らかで優しくおれるのだろう?」
と、不思議に思うと共に、自分の懐の狭さや人間の小ささに、恥じ入ることがしばしばあります。
そして、「凄いなぁ~!」と感動させられます。
私も若い時代にバカばかりやってきて、それなりにシンドイ思いをして来ましたが、そんなものは自分自身の愚かさや無鉄砲さで招いた自業自得の結果でしたので、ここでお話ししている方達のご苦労の内容とは全く異なります。
自分が好き放題にやりたいことをやってうまく行かないときの大変さと、
自分の意志ではない生き方を選ばざるを得ない人生を生きておられる方のご苦労とは、
本質的にまったくレベルの違うものです。
そういった人達は一様に優しくて、人の心をよく理解されていて、そして強い!
何人かのそう言った方々と「出会い」、「出合う」ことを許されてお付き合いをさせて頂き、実に多くを学ばせていただきました。
「だからこそ今がある」ことを心から感謝するばかりです。
今苦しんでいるあなたにも、きっとその様な「スゴイ人」との出合いがあると信じています。
そして願わくば、あなたもその「スゴイ人」になって、助けを必要としている人達の味方になってあげて頂きたいと願います。
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