赤い糸って本当にあるの?

赤い糸って本当にあるの?

仕事であれ、友人であれ、恋愛であれ、宗教であれ、ご近所であれ、今流行のネットであれ、
人との関係の全ては「出会い」から始まるはずです。

そこで、何かしら自分の心に触れるビビッと来た時に、より深く関係をもつようになります。

そのビビッとくる元になるものが自分の感性であり、
難しく言うと、生きて行く上での価値観や考え方ではないでしょうか。

要は自分が「あっ、良いな!」と感じた時に、人であれ物であれ出会ったものを採り入れる訳です。
facebookの「いいね!」ボタンみたいなものですね(笑)。
 
 

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全てが出会ってこそ始まるのですが、
当然、人間には限界がありますので、全世界の全てと出会うことは出来ませんので
自分の見知していることは、この世の中のほんの一部ということになります。

そのほんの一部の中から、「あっ、良いな!」と自分が感じた時に出会った人や物を選んでいるのです。
自分では、もっと広い世界から選択していると思っているかも知れませんが、
実は自分の知っている狭い範囲から選んでいることを自覚しておきたいものです。

限られた狭い範囲の中での判断にもかかわらず、この世の中すべてを知っているつもりで決断したような錯覚をしてしまったことは、私自身、幾度となく経験しています。
これを指して、<若気の至り>と言うのでしょうが・・・・(笑)。

ですから、一番良いものを選んだと思ったときの「一番」というのは、
自分の中では一番ということであり、世の中で一番とは限らないのは当然です。

特に、恋愛では「運命的な出会い」や「もともと赤い糸で結ばれていた出会い」
などと信じたくなるものですが、実は、「そう思いたい!」という感情が
そうさせてしまうのでしょう。

私も若い頃には、好きな女性との出会いには「運命」を感じていたのですが、
それは自分がその人と関わっていきたいと願ったからに他ならないと気付いたのは
ずっと後のことでした。
「失敗したなぁ~!」って(笑)
 

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<出会い>と<出合い>を分けて考える

私は<出会い>と<出合い>を分けて考えています。

私たちは、毎日実に多くの<出会い>を繰り返して生活していますが、
この<出会い>そのものには、あまり意味はないと思います。

大事なことは、このあとの<出合い>です。
無機的な多くの<出会い>の中から、
意識的にもっと関わりたいと思い始めるのが<出合い>です。

本当の<偶然の出会い>から、自分自身の意志や決断でもって、<必然の出合い>へと変えていくのです。
そして、良い意味でも悪い意味でも、お互いに多大な影響を与え合う関係になります。

もし、自分の意志や感性が正しく的を得ていなければ、
その方向性は、人生を狂わせるほどのとんでもない選択をしたことになってしまいます。

「あの人と出会わなければ良かった・・・!」なんてね。

でも、その人と出会って、<出合い>にしていこうとを決めたのは、
他ならぬ自分自身です。
そのことは、決して忘れてはいけませんし、このことは、とても重要なことです。

すべて、自分の意志で決めたことです。責任は自分にあるのです。

もちろんその逆もあって、「あの人に出合えたからこそ今の自分がある!」というケースは、多くの素晴らしい方達に助けていただいたり教えていただいたりした私の人生そのものですが・・・。

「赤い糸」にするかどうかは、自分が決めるのです!

ですから、運もあるのかも知れませんが、
良い人と出会うことが出来て、
それを本当の<出合い>にするために太い人間関係のパイプを築いて、
その人と人間関係を結べたとしたら、
自分の人生にとって非常に高価な宝物を持つことが出来たのと
同じ値打ちがあるのではないかと思います。

ビビッとくる自分の感性も磨いておく必要があるかも知れませんが、
単なるうわべだけの<出会い>ではなく、
真の<出合い>のある人生を過ごしたいものだと思います。

いずれにしても、
人との関わりというものが自分の人間成長や人生に大きく関係していることは
間違いのない事実ではないでしょうか。
 
 
 
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